先日のプログで少し触れた慶応大病院の第三者の精子による不妊治療が停止の方向であることを新聞で知りました。
新聞によると1948年に始まり年間1500件実施されていたそうですが、親を知る権利を認める動きが世界的に広がり、精子提供者が減少したことにより8月から受け付けを停止したとのことです・・・
こうした非配偶者間人工授精(AID)によって生まれた子供が大人になって、遺伝上の親を知りたいと思うことも、また知る権利があると情報開示を求めることも、子供側からすれば当然のことだと思います。
なぜなら、卵子・精子いずれの提供であっても他人から提供してもらって自分が生まれたとなれば、遺伝上の親を知りたくなる気持ちは分かるからです。
それに、そうまでして子供を持ちたいというのは、そもそもが親の利己的欲望・エゴだと私は思うのです。
希望や欲望・欲求の多くが叶わないのがこの世であり、また叶うのがよいというわけでもなく、努力しても叶わないならばそれは受け入れるしかないのです。
ところで今政府は、慶応大病院の停止に並行するかのように里親制度推進に力を入れ始めていますが、里親制度は摂理から見ても、とても理に適っていると私は思います。
親がいなかったり、様々な事情で親に育ててもらえない子供達を、施設から家庭へと養育場所を変えることで、子供により良い養育の場を与えようという動きは、精子や卵子を提供してもらって子供を生むことよりも、私にはずっと清々しく感じられます。
なぜ清々しく感じられるのか・・・それは言うまでもなく摂理に反していないからです。それどころか摂理に適っていると私は思います。
里親になるということ自体が利他愛であり、そこには親に恵まれない子供へのストレートな真の愛を感じます。
もちろん自分の子供を生みたい、欲しいという気持ちは分かりますが、それも程度問題です。
何が何でも生みたい、他人の卵子や精子をもらってでも欲しいとなると利己愛・エゴでしかないと思うのです。
自分の欲望を満たしたい一心で、生まれてくる子供が自分の出生をどう思うかまでは考えが及ばないのでしょうけれど、いずれにしても不妊の助けになると思って実施してきた人工授精も、今後は大きく変わっていくものと思います。
こうしたことを含めて全ては進化の途上での一過程でのことあり、人類の霊性進化とともに全てが摂理に適っていくようになると私は心を込めて期待しています。