「苦しみの甘受」について読書会感想文から思うこと

author:K.I2017/08/01 Tuesday

7月の読書会感想文から、「苦しみの甘受」について改めて考えてみます。始めにその箇所を抜粋します。

「“苦しみは以前、自分が犯した摂理違反の罪を解消し、その後の成長につながる有難いもの”、”全てが神の愛、どんな苦しみが来ても、そう受け止めて生きる”、繰り返される解説の言葉に、頭では理解できても感情では、「いっぱいいっぱいの今より大きな苦しみが来たら果たして耐えられるか?」という不安が込み上げてきてしまい、神の愛に対して心からの得心には程遠い自分が今回露呈してしまいました。
霊主や利他愛、霊界との交わり等の“真理実践の基本項目”は努力できても、こと「苦しみの甘受」に関しては精神的に弱い私にとって今後も難関、課題となり続けそうです」

ここから私が感じたのは、ご自身の内面をしっかりと見ておられるからこその内容ということと同時に、「困難苦難の甘受」は誰もが難しいということでした。

私も昨年4月の熊本地震のニュースを見ていた際、避難所生活の余りの過酷さに「地震には遭いたくないーー!」という強い思いがとつぜん心の底から湧き上がってきてびっくりしました。これまで幾度も災害の過酷さは見てきたはずなのに、なんで?なんで?・・・・・
ああ私には、まだまだ困難苦難を嫌がる気持ちが残っていたのです。



「思想3」に書かれているように、霊的人生には安易さも気楽さもありません。霊的に何の価値もないこの世の富(金銭・財産・名誉・人気・権力など)を得るにもそれなりの努力が要りますが、私達が得ようとしている“霊的富”は、この世の富を得るのとは比較にならないほどの努力が要ります。

その努力とは毎日の霊的実践ですが、それは緊張を強いられる上にストレスも強く感じます。“清らかさ”を求めているのに出来ない自分に絶望や苛立ちも覚えます。

中でも特に「困難苦難の甘受」が難しいのは、困難苦難にはさまざまな種類?があるからです。私は対人関係や仕事上の苦難は甘受できても、自然災害によって生活の基盤が崩されることには耐え難かったのです。

しかし熊本地震から一年半が経った今では、「自然災害から生じる困難苦難も甘受する!」という心境に至っています。それは霊界を”生きた世界”として実感できるようになったことで、“軸足が霊界に置かれ、霊主でいる時間”が多くなったからです。


知ってのとおり、次元の低い霊主は“質素に暮らすこと”、“贅沢を求めず生活できればそれでよし”とすることです。
次元の高い霊主は、“この世のことより霊的なことを優先する”、“家族よりも全体を優先する”、“人間を頼るのではなく神を頼る”ことですが、それに加えて霊界を“生きた世界”として実感してこそ困難苦難が甘受できる、と私は思います。

この物質界を“生きた世界”として実感しているように、霊界を“生きた世界”として実感できたならば、“霊である自分”に、一時的逗留の場である物質界で起きる困難苦難など乗り越えられないわけがない!!となるからです。
“人間は霊であり、霊界は実在の世界”といくら知っていても、知っているだけでは用をなさないのです。

霊界を“生きた実在界”として実感してこそ、地上界は一時の仮の場となり、地上での困難苦難は永遠の中のほんの小さなエピソード、永遠から見れば“蚊”にさされた程度となるのです。


では、その霊界を“生きた実在の世界”として実感するにはどうしたらよいのでしょうか・・・・・私は瞑想をお薦めしたく思います。

雑念が湧きやすい瞑想はしたくないと言うならば、シルバーバーチが繰り返し述べているように、一日の僅かな時間を一人きりになって霊界に思いを馳せることです。大切なのは継続すること!!それによって心臓の鼓動より近くに霊の世界が感じられるようになったら“しめたもの”・・・・・

目を閉じた瞬間から寄せては返す波のごとく、自分の身辺にみなぎる霊力を感じるようになります・・・・・
自分の霊体(幽体)が霊力に溶け込んでいく感覚とともに、自分がなくなっていく心地よさを味わいます。まさに自分が“無”になった瞬間です・・・・・

こうした全面的受身の状態を、毎日僅かな時間でもよいから欠かさずつくり出すことで、次第に霊界を”生きた世界”として実感でき、それに伴い困難苦難が小さきものとなっていきます。


とは言え私は偉そうなことは言えません。なぜなら、つい1年半前まで私は困難苦難の全てを甘受できていたわけではないからです。

しかし瞑想を続けたことで霊界が“生きた世界”となり、“困難苦難は甘受すべきもの”となったことを今はとても嬉しく思っています。
これからも瞑想を続けて、これまで以上に霊界を“生きた世界”として身近に感じていきたいと思います。

シルバーバーチの言葉です。

「私はいつも思うのですが、あなた方のような(真理普及にたずさわる)人たちが、いつか、ご自分の身のまわりで立ち働いている霊の存在をぜひ目のあたりにできるようになっていただきたいのです。そうすれば、たずさわっておられる仕事の偉大さについて一段と認識を深められることでしょう」(シルバーバーチの霊訓・8/25ページ)



PS:
困難苦難を大きく捉えてしまうのは、その部分だけを切り取るからです。
神性を宿す私達には“永遠の歩み”がありますが、困難苦難はその“永遠の歩み”の中の一場面でしかないのです。だから切り取らないことです。
連続する生命の“ほん一部”として捉えてこそ困難苦難を甘受できる、と私は思います。

|http://kss.vis.ne.jp/b/index.php?e=696|
読書会|感想|03:49 AM|comments (x)|trackback (0)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:http://kss.vis.ne.jp/b/tb.php/696

▲PageTop

Calendar

    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31   

<<前月 2017年08月 次月>>

NewEntries

Categories

Archives

Profile

Link

LogIn

ゲストモード

ID:
Pass:

Admin

ID:
Pass:

Other

Powered By

Copyright © KANTOU Silver Birch Society All Rights Reserved.