続・“霊的親である神”について学んだこと

author:K.I2016/12/01 Thursday

今回は11月の読書会で学んだ、神の5つの基本的概念(創造主、大霊、摂理、愛、究極の理想としての神)から考えたことをお話いたします。


スピリチュアリズムの神観の特徴は「摂理としての神」にありますが、これを知ることは地上人にとってとても重要だと私は思います。
なぜなら、それによって“人類は神の完璧な摂理によって支配され、平等公平に扱われている”ことを知るからです。

この不公平きわまりない地上世界に私が不満や疑念、絶望を感じないでいられるのは「摂理としての神」を知ったからです。

その摂理の基本となるのは、言うまでもなく「因果律・原因結果の法則・カルマの法則」です (*注1)
それは“善因は善果となって、悪因は悪果となって自分に返ってくる”という単純明快な法則ですが、これを知ったことで私はどれほど救われたか分かりません。

地上世界がどんなに不平等・不公平でも、神の摂理に適って生きていけばそれでいい。それが善因となって、いつか必ず霊的成長という善果が返ってくる!と確信できたからです。

霊界も宇宙も因果の法則によって絶対的な支配を受けている以上、たとえ自分が損することであっても、全体のために良いことならやる!と決意できたのも、この摂理のお陰です。この“損”とは、物質的損(他人のために自分のお金や時間やエネルギーを使うなど…)であって霊的には損どころか得しますが、この単純明快な摂理を実践するには困難を伴います。

なぜなら地上世界は利己主義・物質主義が当たり前になっているからです。そうした風潮に流されずに「滅私で利他愛を発露する(善因をつくる)」には、“神と神の摂理への絶対信頼と信仰”が不可欠です。神と摂理への信頼・信仰があって初めて滅私で利他愛の生き方に徹することができるのです。「摂理としての神」を知ったことは本当に凄いことだと思います!!



「創造主としての神」からは、「自分が今目にしているものの全ては神の創造物!」ということを再確認できました。自然界のものはもちろん、人造・人工物でさえも真理に照らせば神の創造物なのです。東京スカイツリーでさえ神の創造物と言えるのです。

なぜなら建築の材料は神が物質素材界に働きかけて造り出したものであり、スカイツリーを造ろうとした人間の思念も神から授かったものだからです。全ては神に内在していたものなのです。

神を「万物の総合体」というのも、万物(被造物)にみられる要素の全てが神に内在していたものだからです。私達人類が持つ感情、喜び・悲しみ・優しさ・厳しさ、知性、意志なども全て神に内在していたのです。

だから憎しみも神のものなのです。人間の未熟性も全て神に内在していたのであり、こう理解すると他人の未熟性を見ても「神に内在していたもの」と思えて寛容心が持てます。ただ顕現の仕方が未熟なだけなのです。


「大霊としての神」からは、私達の霊(心)をどこまでも大きくしたのが神であり、神をどこまでも大きくしていけば自ずと霊界と宇宙の隅々にまで大霊が行き渡り、神は霊界・宇宙の全てに遍在していることに得心がいきます。

意識の総合体である大霊は、個性を超越していながら同時に個性の中に内在していますが、それは神は私達人間を超越していながら、同時にミニチュアの神として私達に内在しているということです。


次は「愛なる神」ですが、神は人類や万物の全てを愛しており、人類は神の愛によって結ばれた霊的大家族ということです。
神の愛によって人類も万物も存在しているのであり、神は自ら拵えた霊界と宇宙を愛で支配し、自らの愛が行きわたる場所にしたのです。

最後は「究極の理想としての神」ですが、人類の理想(目標)は神であり、私達は神に向かって歩む霊的存在者なのです。神に近づくためには利他愛発露が必須の条件であり、利他愛を発露すればするほど神に近づき喜びと幸せが増していきます。


こうして2ヶ月に亘って神観を学んできましたが、それは神を理性(頭)で理解するだけでなく“生きた神”として実感的に認識したいためです。

これからも霊的真理から正しい神の姿を学び、同時に大自然の中に現れる摂理から神の完璧性を知るとともに、祈り・瞑想を通して“生きた神”を認識していきたいと思います。

“生きた神”が人生の中心に置かれるようになれば、摂理に適って生きる!という選択しかしなくなり、人生が大きく変わります

“生きた神”の実感的認識は、私達の意識を変革し霊的変革をもたらすからです。これからも“生きた神”をより実感できるよう努力し続けます。



*注1:
最近では一般の方々でも“カルマ”という言葉を使いますが、そこから私が感じるのは、カルマ=悪行・悪果のように使われていることです。悪いことが起きると「カルマだね」という具合です。
もちろん間違ってはいませんが、カルマは業・行為ですから、良い行為には良い結果となるのに、なぜか悪い場合に使われることが多いようです。

最高の宝である霊的真理を私達が手にできたのも善行(善因)の結果(善果)であり、「因果の法則」つまり「カルマの法則」によるのです。ただ私は今現在、大きな苦難や重篤な病の真っ只中にいる人に対して「それはカルマだね」と言うのは避けたいと思います。

なぜなら霊的感性が鈍っている地上人の私が、わずかばかり手にした霊的真理を持ち出して他人を裁定するのはおこがましいからです。謙虚さに欠けるからです。
そもそも私達が地上界に再生してきたこと自体、因果(カルマ)の法則の働きであり、摂理を知った者として他人の苦難や病には同情と優しさを持って寄り添いたいと思います。

ただし、自分が苦難や病気に遭遇したときは、自分のカルマとして、「因果の法則」の働きとして正々堂々と受け止め、正しく対処して霊的成長の糧にしようと思います。

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