“家族愛”と“人類愛”について思うこと

author:K.I2010/03/08 Monday

始めにシルバーバーチの言葉を引用します。

「家族的情愛や恋愛が間違っていると言っているのではありません。外へ向けてのより広い愛の方が上だと言っているのです。排他性の内向的愛よりも発展性の外交的愛の方が上です。
(中略)
家族的な愛は、往々にして排他性を帯びます。いわゆる血のつながりによる結びつきです。
(中略)
が、愛の最高の表現は己を思わず、報酬を求めず、温かさすら伴わずに、全てのものを愛することができることです。その段階に至った時は神の働きと同じです。
(中略)
愛はまた、滅私と犠牲の行為となって表われます」
(「シルバーバーチの霊訓」1/145ページ)


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霊訓|神の愛について|04:52 AM|comments (x)|trackback (0)

いただいたお手紙やメールから(その2)

author:K.I2010/02/12 Friday

先回からの続きです。

(3)自己犠牲について思うこと

「ニューズレター48号とブログやコラムなどから、利他愛の世界、自己犠牲について考えていました。そうしたら、自分の生活のすべてが他人の自己犠牲の上に成り立っているように思えてきました。
そこで自分はどう自己犠牲を払ってゆけばいいのかと考えましたが、そんな風に考えているようでは、自己犠牲はとても出来ないと思いました。」


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霊訓|神の愛について|04:33 AM|comments (0)trackback (0)

神とシルバーバーチと、我が守護霊に感謝する

author:K.I2006/10/05 Thursday

今、私は、自分の心境の思いもよらない変化に驚いています。
先日のブログ(9月30日付け)に書きましたように、今の私の心境は、たとえようがないほど清々しく、清涼感と静寂で満たされていますが、地上にいながらこのような爽やかな心境になれるとは、思いもしないことでした。
そこで、なぜこれほど爽やかな心境になれたのかと考えたところ、今世で私が持った悪感情(の記憶)が、いつの間にか消えていることに気付きました。


これまでの私は、自分が今世で持った悪感情を思い出して心を乱すことがありました。
悪感情と言っても誰もが持つ程度のものですが、折角、霊的成長の為に生まれて来たというのに、自分の未熟さ、至らなさから、悪感情やマイナス想念を作り出してしまったことに後悔の思いが強くありました。
それに、過去世のカルマを消すことも、今世の人生の目的の一つなのに、新たなカルマを作ったのでは、後悔しても後悔しきれない。消せるものなら消したい。どうしたら消せるのだろうか、と真剣に思いました。


ところが、神は、地上にいる間に、私の悪感情(の記憶)を消して下さり、霊的真理普及に邁進できるよう計らって下さったのです。つまり、神の慈悲が私にもたらされた、ということです。
それは、まさに自我を開発する道 ─ 霊としての本質を磨き、霊的資質を発揮する道 ─ でした。
それを裏付ける言葉が、シルバーバーチの霊訓にあります。

「人間の方から進んで内的自我を開発する意識に目覚めてくれれば、死の関門を通過するまで待たなくても、今すぐからその真の自我を発揮することになります」
(シルバーバーチの霊訓2/121ページ)


ここで注目すべきは ─ 人間の方から進んで内的自我を開発する意識に目覚めてくれれば ─ という箇所ですが、その内的自我を開発するために私は、次に挙げた二つのことを実行しました。その結果、死の関門を通過するまでもなく、霊的真理の普及という地上で最も価値ある仕事に携われることになったのだと思います。

1、誰に何と言われようと(たとえ家族に反対されようと)、霊的真理の実践に徹する誓いを立てて実行した=自分の理性に従った

2、霊的真理に出合った者は、次は真理の伝道者になるというシルバーバーチの言葉に従い実行した=神と神の摂理への絶対信頼・絶対信仰


宇宙の大機構の中にあって、忘れ去られても仕方がない程に、小さな存在である私がなし得た「ほんの小さな実践」をも、神は見落とすことなく報いて下さいました。それも、思いもしない素早さで、なおかつ私の「努力以上のもの」を下さったのです。地上で耐えた苦難は、霊界で報われると言われますが、私は既に地上で報われています。清涼感と静寂の中で霊的真理の普及に携われることが、その何よりの証拠です。


また、「人間がなし得た善以上のもの」をもって神が報いて下さることは、「天国と地獄 I」の通信霊達も言っていることです。

「神は大変慈悲深い方であり、私がなし得たごくわずかな善を評価してくださり…」(シドゥニェ ─ 事故で溺死した霊媒)

「たったあれだけのことに対し、神がこれだけの恩寵を下さったことが、どうしても理解できませんでした」(アントワーヌ・コストー ─ 心優しき塗装工)


「ごくわずかな善」、「たったあれだけのこと」というのは、私の「努力以上のもの」という思いと一致します。
私は、ただシルバーバーチの言葉に従っただけであって、それ程の努力をしたわけではありません。シルバーバーチが、「霊的真理に則った生活をしなさい」と言うので、それを「実践する努力」をしたまでです。言ってみれば、幼子が親の言いつけを守っただけなのに、「それ以上のご褒美」を、親は私に授けて下さったのです。
「それ以上のご褒美」とは、言うまでもなく、清涼感と静寂さ、そして霊的真理普及への道を開いて下さったことです。


自分の人生の思いもよらぬ展開に驚くばかりですが、そのように計らって下さった神と、未熟な私をここまで導いて下さったシルバーバーチとわが守護霊、その大きなきっかけを作って下さった心の道場のサークルの皆さんに心から感謝いたします。


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霊訓|神の愛について|10:54 AM|comments (0)trackback (0)

過去世の記憶を消して下さるのは、神の愛

author:K.I2006/09/30 Saturday

地上への再生に当り、過去世の記憶を消して下さるのは、神の愛であることが、アランカルデックの「天国と地獄II」(幸福の科学出版)を読んで、とてもよく分かりました。神の愛と叡智に改めて感動しました。

もしも、過去世で犯した過ちを記憶に留めながら、今世の地上人生を歩むとしたら、どんなに辛く苦しいことでしょう。まして、地上で償う時期や内容まで分かっていたら、その辛さは想像もつきません。
私にしても、過去世の過ちを、「人生の中盤で償う」ことを子供の頃から分かっていたら、どうなっていたかと思います。分からずにいたからよかったのです。前もって分かっていたら、現実の苦しみよりも、何倍も苦しい思いをしたのではないかと思います。それは、沈没することが分かっている船に乗るようなものだと思います。


こうした無意味な不安や恐れを抱かせないように、神は過去世の記憶を消して、地上に誕生させて下さるのだと、私はずっと思っていましたが、「天国と地獄」には、それを裏付けることが書かれており、 ─ 過去の記憶を消して再生させてくれるのは、神の愛 ─ であることが確認できました。
次に、「過去の記憶が消されていく様子」と、「忘却は神の恩寵」について述べられている箇所を引用します。


「こうして、再び地上に生まれ変わることになる。地上で自分を待っている恐るべき試練が、蜃気楼のように視界に入る。退こうとするが、前進せざるを得ない。ぱっくりと口を開いた深淵に吸い込まれ、転げ落ちていくと、やがてヴェールが目の上にかかるのが感じられる。記憶が消されるのだ」
(エゴイスティックな霊への懲罰 ─ ジョルジュの話から)


これは、「地獄で苦しむ霊」からの通信なので、普通の霊に当てはまるのかどうか分かりませんが、記憶が消されるという点は共通しているのではないかと思います。
次に上げるのは、「厳しい人生の試練を経験した霊」からの通信で、「忘却は神の恩寵」であることがよく分かります。


「神様は、地上での一生の間、私達の過去世のことを忘れさせてくださり、そのことで人生の辛さを和らげてくださいます」
(障害と貧困の生涯から学んだこと ─ ジュリエンヌ=マリの話から)

「ああ、新たな理論、霊実在論を信じる子供達よ。あなた方はよくこう言います。
─ 私達は、過去の転生でやったことを覚えていない。もしそれを覚えていれば、用心して数多くの過ちを避けることができるのに ─ と。
しかし、神に感謝しなさい。もしあなた方が過去世での記憶を保持していたとしたら、地上において、一瞬たりとも安らぎを感じることができなくなるのですよ。悔恨や恥の思いに絶えず付きまとわれたとしたら、ほんの一瞬でも心の安らぎを感じられると思いますか?
従って忘却とは恩寵なのです。記憶こそが霊界では拷問なのですよ。
もう何日かすれば、苦しみに耐えた私の我慢強さに対する報いとして、神は、私から、過ちの記憶を消してくださるでしょう。それこそが、守護霊が私にしてくれた約束なのです」
(沸騰したニスを全身に浴びて亡くなった男性 ─ レティル氏の話から)


─ 記憶こそが霊界では拷問 ─ とは驚きましたが、よくよく考えてみるとその通りだと思います。なぜなら、自分がこの世で抱いた悪感情を思い出しただけでも居たたまれなくなるのに、さらに過去世の過ちまでが記憶に残っていたら、それは、やはり拷問に等しいと思うからです。
なのに、巷では前世探しが流行しています。神が、折角前世の記憶を消して地上に誕生させて下さったというのに、人はなぜ前世を知りたがるのでしょう。前世探しは、意味がないばかりか、神の恩寵に反する行為だと思います。
それに、前世の記憶が地上人生にプラスになるなら、神は前世を記憶に留めたまま地上に再生させたと思います。神なら、そのくらいのことは難無くできます。
ですから、前世を知りたい人の気持ちが、私には分かりませんが、知りたい人は自分に都合のいいことだけを知りたいのであって、自分が過去に犯した過ちを知りたいと思って前世探しをしている人はいないと思います。
それでも、前世を知りたいと思うのであれば、まずは、前世で犯した過ちを知ることだと思います。つまり、「前世の過ち探し」ということですが、それなら、前世探しも、少しは意味があるのではないかと思います。


さらに、この通信には、私が知りたかったもう一つのこと ─ 過去の過ちの記憶は、いつ私の脳裏から消えるのか ─ について語られていますが、それは、霊界に還った後で、地上で苦しみに耐えたご褒美として、神は然るべき時期に消して下さることが分かりました。
ですから、霊界へ還ったら甦るであろう私の過去の過ちの記憶も、苦難に正しく対処したご褒美として、神はいつかきっと消して下さると思います。そう思うと、苦難から逃げずにやってきて本当によかったと思います。
それに苦しみを乗り越えた今の気分は、例えようがないほど清々しく、すでに過ちの記憶は消されたのではないか、と思うほどの清涼感と静寂さです。


過去の記憶を消して地上に誕生させて下さる神の愛と慈悲の深さに、神の子として生まれたことを、とても嬉しく思った一日でした。


PS:スピリチュアリズムから見た前世探しの問題点については、ニューズレター26号(心の道場発行)に詳しく述べられています。


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霊訓|神の愛について|05:42 AM|comments (0)trackback (0)

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